【※ドラえもん※】なんと、高校生になった出木杉は落ちこぼれになっていた。教師「出木杉くん。」出木杉「・・・・・・はい。」


【71点】

公立の高校においては、極めて平均的で、箸にも棒にもかからない点数である。

しかし、いま僕が通っているこの関東最難関の私立高校では、そういうワケにはいかない。

稀代の天才、〇〇の生んだ神童、未来のエジソン

ボジョレー・ヌーボーのキャッチコピーの如く胡散臭い通り名で持て囃された少年少女が一同に会するこの場所は、さながらガリ勉のサマーソニックだ。

テストで80点代を取れば肩を落とし、90点代前半でようやく胸を張り、かと思えば90点代後半では「満点を取り逃した。」と落胆する。

そんな彼らにしてみれば、70点代などもはや0点と大差ない。

彼らは80~100までの20点満点(まぁ、厳密には21点満点か)の世界で生きている。

僕がかつて身を置いていた世界だ。

【努力の高み】

小・中学生の頃の僕は勉強の虫だった。

正確には努力の虫。

両親に努力を認められるのが嬉しくて、一番分かり易い形で結果が表れる勉強というジャンルに没頭した。

その甲斐あって、僕は学校内はもとより、通っていた学習塾の中でもナンバー1の成績を修めていた。

正直、有頂天だった事は否めない。

そんな有頂天の僕は、更なる努力の高みを求めた。

その結果、現在の私立高校の受験を選んだ。

それが間違いだったんだ。

天は学力を無償で貸し与えてくれるほどお人好しではない。

さっき言った僕の持論。

これは今でも間違ってないと思っている。


実際、僕もクラスメート達も、世間の同年代の子達が遊んだり恋愛したり盗んだバイクで走り出したり、いわゆる青春という物に割いている時間を、全て予習・復習に充てている。

やはり、努力しない者に学力は備わらない。

しかし、努力と学力が必ずしもイコールで結ぶ事の出来る関係かと言えば、そうでもない。

この高校に入って3ヶ月も経った頃、僕は少しずつ授業の内容についていけなくなり始めた。

もちろん、ついていくべく更なる努力を重ねた。

それまで通っていた塾に加えて、家庭教師もつけてもらった。

自主学習に使う参考書も7冊から10冊に増やした。

それでも足りなくて11冊に。

12冊。

13冊。

14冊。

現在では20冊に。

睡眠時間を減らして解いている。

手は尽くした。

しかし、ダメだった。

いくら走れど足掻けど、授業と僕の距離はどんどん離れてしまう。

そして、距離が離れれば離れるほど、僕のような人間には一生無縁だと思っていた“ある言葉”が重くのしかかってきた。

“上には上がいる”。

天才だ秀才だと持て囃されて良い気になり、自分のレベルに合った高校はここぐらいしかないとタカをくくって受験し、合格。

そこまでは良かった。

しかし、ここは関東全土から天才児が集う場所。

“上には上がいる”

僕は練馬区という井戸の中で、両親の賛辞を雨乞いする蛙でしかなかった。

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