赤いギャラドスの悲しい物語
かつてコイキングは食糧難を救うポケモンとして重宝されていた。
というのは、コイキングは食用として育てるのには適したポケモンだったためだと言われている。
食料がない時はコイキングを育て、感謝していたということだったようだが、食糧難が終わると人々はコイキングへの感謝を忘れてしまった。
そればかりか大量に余ったコイキングを処分してしまったと言われているようだ。
そして、そんな処分されそうなコイキングの中の1匹がギャラドスになり、人々に逆襲として襲いかかったと言われている。
進化したギャラドスは最初は青色だったが、人々を襲う中で返り血を浴びて赤くなったと都市伝説では言われているのだ。
つまり赤いギャラドスは感謝の心を忘れた人々に戒めを与えたギャラドスだということになる。
ポケモンジムとは、元々は引退したベテランのポケモントレーナーが後続の新人ポケモントレーナーに「トレーナ-術」を伝授する私営の道場のようなものだった。
人とポケモンとの交流が進み、ポケモントレーナーになることが一般的になるにつれてポケモンジムが増加し、金儲けを企む悪質なポケモンジムも増えたため、ニッポン国の文部省はポケモンジムを認可制にした。
原則、児童一万人に一軒の割合でポケモンジムを営業することが認められたが、現在は少子化と地方の過疎化が進行した影響で児童を集められないポケモンジムを守るため、子供の少ない地方に限りポケモンジムを国費で運営し、ジムリ-ダーは地方公務員にするシステムが作られている(ただし国費で運営されるジムの予算は潤沢ではなく、ジムリーダーの給料も非常に安い)。
各ポケモンジムは創設者の得意分野を受け継ぎそれぞれ特化した流儀や格式をもっているが、一つのジムで修行したトレーナーは得意不得意が目立つため、国は児童が複数のジムで学ぶことができるようにバッチ制を導入した。
この制度により、トレーナーは各ジムのジムリーダーに挑戦し勝利するとジムを制した証であるポケモンバッチをジムリーダーから与えられ、一つの地区で8個以上のポケモンバッチを獲得した者は地区ごとのポケモンリーグに進むことができるようになった。
ちなみにジムリーダーは連続して4回挑戦者に負けてしまうとジムリーダーの資格をはく奪されてしまう。
初代ポケモンにはオーキドと戦うイベントがあったがボツになった
オーキドとの戦い(マサラタウンにて)