もちろん最初から彼女がペラペラと自分のことを書いてくるはずもなく、
俺はメールの中に少しずつ質問を織り交ぜ、少しずつ彼女の周りの壁を
とりはらっていった。
素性が知れるようなことはいつまでたっても教えてくれないものの、昔の
思い出話、最近面白かったテレビ、その日の予定、楽しかったこと、
頭に来た事など、少しずつ彼女は自分から話すようになっていった。
俺はそれに対し、彼女の中で世界一よい聞き手になれるよう、熱心に
耳を傾け、練りに練った返信メールを彼女に対して送り続けた。
そうして彼女の話を聞くうちに、彼女のことが少しずつわかっていった。
3人兄弟の一番上であること。両親が厳しいこと。今は一人暮らしであること。
仲が良かったけど喧嘩して連絡をとってない友達の話や、昔の恋愛の話。
ひとつひとつ、それぞれの話を聞き、それに対して意見を交換していく内に
少なくとも俺は、お互いを段々と深く理解して行っているのだと感じていた。
同じ空間を共有しない、電波とケーブルで届く文字だけのつながりだけどね。
こんな関係はやっぱり希薄な人間関係だと思うかい?
直接会って交流しなければ、やはり深い人間関係にはなれないのかな?
自分でもそういう限界はずっと感じていたんだ。でも俺にはひとつだけ希望が
あった。それは彼女の銀行口座のある支店が、結構俺の家と近いのだ。
とは言っても電車で20~30分と言ったところだけどね。
一応写真でお互いの顔は知っている。どこかで偶然に出会うのではないかと
気が付けば俺は外出時には無意識の内に彼女を探すのが習慣になっていた。
でもこれだけ人口の多い東京で、そんな偶然は宝くじに当たるよりも確率は
少ないんだろうけどね。銀行口座だって本人のものか分からないし、その近所に
住んでいるとも限らない。でもこれが唯一の慰めだったんだ。
こんな風にして、毎日会社と家を往復し、その間、彼女と一日中メールをやりとりし、
通勤時間にはそのメールの相手との偶然の出会いを求める生活が続いた。
彼女と時間と空間を共有したいという欲求は日増しに強くなっていった。
ある日俺は彼女にデートを申し込んだ。一緒に映画を観ようって。
もちろん実際に会ってのデートは断られるに決まっているので、
そこはひとつ工夫をした。ふたりで同じDVDを借りて、週末の同じ
時間に一緒にその映画を観るのだ。