それからしばらくすると、工場に一人の女性が入って来た。
長い黒髪をした女性だった。スーツを着こなし、毅然として歩く。
彼女は工場長からの説明を受けた後、工場内を見て回る。
そんな彼女の姿を見た従業員は、思わず手を止めていた。
それもそうだろう。何しろその女性は、かなりの美人だった。どこか童顔ではあるが、整った鼻筋、仄かに桃色の唇、きりりとした凛々しい目……その全てが、美人と呼べるだけのパーツであり、絶妙な配置をしている。彼女の顔を間近で見れば、目の前の作業なんて忘れてしまうだろう。
……だが、どこか見覚えもある。
どこだっただろうか……
「……あら?」
ふと、彼女はオラの顔を注視した。
(やば……なんか問題あったか?)
オラは目の前の作業工程を頭の中で確認する。不備は……ない。
だが彼女は、ツカツカとヒールの音を鳴らせながら、オラの方に近付いてきた。
そしてオラの横に辿り着いた彼女は、オラの顔を覗きこむ。
「……な、なんですか?」
「………」
彼女は何も言わない。ただ黒い瞳を、オラに向けていた。見ていると、何だか吸い込まれそうになる……
――と、その時……
「―――しん…様?」
「……はい?」
女性は、オラにそう話しかけて来た。
その呼び方をする人は、オラの知る限り一人しかいない……それは……
「……もしかして……あい、ちゃん?」
すると彼女は、それまでの凛々しい態度を一変させ、その場で飛び跳ねてはしゃぎ始めた。
「やっぱりそうだ!――そうです!あいです!酢乙女あいです!お久しぶりです!しん様!」
……工場内には、どよめきが走った。
「――はい、あいちゃん」
休憩所の中で、オラはあいちゃんにコーヒーを手渡す。
「ありがとう、しん様」
「このコーヒー、スーパーの特売品だから、あいちゃんの口に合うか分かんないけど……こんなものでゴメンね」
するとあいちゃんは、首を振って笑顔を向けて来た。
「そんなことないです。しん様が入れてくれたものですもの。それだけで心が満たされます」
そしてあいちゃんは、コーヒーをすする。
「……うん。悪くありません」
「ありがとう、あいちゃん。……ところで、そのしん様って呼び方、どうにかならないかな……」
「……嫌、ですか?」
「嫌というか……なんか、恥ずかしいし……」
「………」
しばらく考え込んだあいちゃんは、口を開いた。
「……分かりました。今日からは、しんのすけさんとお呼びいたします」
「助かるよ……」
彼女は、微笑んでいた。そんな彼女に、オラも微笑みを返した。