告別式や葬式が終わって、
焼け残った書類なんかを家族みんなで調べていたとき、
母親が残していた書類が出てきた。
小さなそれは放水車の水で濡れて、
炎で焦げてはいたけどちゃんと開く事が出来た。
それは、僕たち兄弟5人の母子手帳だった。
僕の手帳には、産まれる前日まできっちり状態が書き込んであり、
” ちょっと出血があったので心配。先生は大丈夫だと言ってたけど”
と若かかった頃の母の直筆で、メモが残されていた。
兄、2人の妹、弟の母子手帳もそれぞれいろいろな記録がしっかり書かれていた。
僕が産まれて35年間も、大事に、大切に保管をしてくれてたのだ。
皮肉にも、母が亡くなって焼け跡の中で知った。
僕らは兄弟が多く、母はずっと苦労したと思う。
当時は学費も生活費もかさんでお金もなかったから、よくパートに出ていた。
スーパーで働いていた時は、
廃棄になるおにぎりをいつも5つ持って帰ってきてくれていて、
それを笑顔でみんながほおばっていたのを今でも覚えてる。